2011年4月23日土曜日

地方国公立大学の存在意義

最近、地方の国公立大学の存在意義が問われています。
就職に関して、むしろ東京の有力私大のほうが有利ということで、無理してでも都会の私大に行ったほうが良いということのようです。

昔は例えば早慶など、簡単に入れる学生が地方の国公立大学にもたくさんいました。経済的理由で地元の国立大学に進学する学生がたくさんいました。

私が大学生のころの国立大学授業料はたしか年間147,000円くらいだったと思います。また、家庭の収入が低ければ、比較的簡単に授業料免除になっていたような気がします。育英会の奨学金をもらえば、十分、親のサポートを受けずに大学を卒業できた時代でした。貧乏な家庭でも、自宅からなら、大学に通わせることができました。

今では入学金と授業料を合わせれば、80万円前後になるようです。毎年の授業料も50万円台だったと思います。これでは、ちょっと頑張って、都会の私大に行こうかということになるのかもしれません。
結果として親はかなり無理をすることになります。

経済格差が知識格差にならないように、大学運営は考えられなければならないですし、地方大学でも都会の私大に負けないくらいクオリティーの高い教育をしていくべきだろうし、魅力をあげていかなければならないと思います。学費はやはり親の収入に応じて免除システムを徹底していくべきだろう。子ども手当ばら撒きよりも、優秀だけれど貧乏な学生を伸ばすべきだと思う。

1980年代に海外の公立大学で実際に勉強して、日本の国立大学の教育の質の悪さをあらためて感じましたが、結局あのころの国立大学は安かろう、悪かろうだったのかもしれません。これではいけません。地方の優秀な先生方が頑張れる仕組みを作るべきだろうし、どうやって、世界に通用する社会人を作り出すのか、明確なビジョンが必要です。

日本は人的資源しか無いのだから。

今回の震災地に対しては、経済的理由で高等教育が受けられない優秀な人材をどう、救済するか、真剣に考えなければならないと思います。

子ども手当ばら撒きの愚はやはり、貧乏な家庭も裕福な家庭も、優秀な子どもも、そうでない子供も、一律にばら撒きを行ってしまったことだと思います。
地方でも質の高い教育が受けられる、地域社会に貢献できる人材を輩出する。これに注力するべきだと思います。日本は人材しかないのだから。

徹底的に大学用途に徹したプリントマネジメントソフトを提供しよう。

COSYは小さな会社ですが、徹底的に文教用途に徹したプリントマネジメントソフトを提供していこうと思っています。

論文やレポートの印刷、ネットやデータベースサービスからの資料収集。やはり、紙に印刷された情報が無ければ、効率的な知的活動や知的生産はできません。
大量に印刷することがやむおえない場合もあります。しかしながら、失敗印刷や、クラブ活動のビラとか、本来の学業に関係の無い印刷は制限する必要があります。
大学ではこのような不要な印刷のため、多大なコストを負担しています。

そのため、最近、特に国立大学で、印刷に課金する方向に安易に流れているような気がします。
課金システムを構築するために、大手事務機メーカーに丸投げで、多大な金額をかけて、発注しようとしています。また、丸投げすれば、機器、消耗品に関して割高な費用が設定され、全体として、かなりの経費が消費されることになります。

本当にこれで良いのでしょうか?

本来、このような費用は本当に印刷が必要な研究者や、学生に向けて支払われるべきだと思います。

COSYの提唱するプリントマネジメントシステムは以下のとおりです。




  1. マルチベンダー対応でどこの機械にも出来る限り対応する。結果として機器購入時に市場で最も適切な価格を提示してきたメーカーの製品を導入することができる。


  2. 間違い印刷を極力防ぐソリューションを提供していく


  3. 適切なルールを持って、カラー印刷をしてもらう。


  4. 年間に支払っている消耗品代金に見合った価格の管理システムを提供する。


  5. 課金するにしても、例えば上限の500枚を超えた部分に限って課金するなどの対応をとる。


  6. 大学院生に対しては2000枚まで無料にするなど、柔軟な対応


  7. あらかじめ決めた印刷ルールに反する印刷を行った場合は警告を表示して、徐々に学生を啓蒙する。(プロッターでWebを印刷など禁止)


  8. 導入するなら学生の使い勝手を向上させることを念頭に置く。


  9. 学部単位、研究室単位でも手軽に設置できる簡単さ、低価格を実現する。

私も海外で複数の大学で勉強させてもらったり、日本でも、大学院ですばらしい勉学環境を提供してもらい、感謝しています。最近の学生を圧迫するような大学法人や事務機業界の動きに憤りを感じております。
日本が知的生産性で海外に負けるのは憂慮すべき事態です。

本来、経済的に困窮している学生でも学べるということのために設立された国立大学が学生に負担を強いるのは本末転倒です。私が大学生のころは、授業料免除+年間500円の寮費+アルバイトで100%自分で大学に通っていた学生がたくさんいました。経済格差が優秀な将来をになう人材の勉学を挫くような結果になってはいけません。私の父などは、原爆の多大な被害を受けた広島大学でバラックに住みアルバイトしながら、必死に勉学を続けたようです。

企業の存続性と社会的な意義はよーく考えてみる必要がありそうです。

2011年3月14日月曜日

謹んでお見舞い申し上げます。

このたびは東日本で発生いたしました地震および津波災害で被災されました方々に謹んでお見舞い申し上げます。
一日も早い復興をお祈りしております。

COSY
森川祐輔

2011年3月5日土曜日

オーストラリアに出張してきました


2月末にオーストラリアに出張してきました。夏とは言え、長そでが無くては肌寒い日が続いていましたが、快適でした。

2011年1月23日日曜日

フェルマーの最終定理

YouTubeでたまたま見つけたNHKスペシャルで、フェルマーの最終定理の番組をやっていた。
アンドリュー・ワイズ氏は7年かかって、300年以上も天才数学者たちが立ち向かっても歯が立たなかった定理を証明したというのです。
xn + yn = zn (nの部分はべき乗です) n=2はご存じピタゴラスの定理ですが、2以外の整数でこれを満たす数字は無いという、ことを証明するわけですが、これに一生をかけて取り組むというのはすごいことですね。300余年の間に、一生をかけて、取り組んで、証明できなかった数学者がたくさんいるわけで、人生すべてかけて、徒労に終わるというのは他の人から見れば、なんで?と思うわけですが、それだけ情熱をかけ続けることができるというのがすごい。

紙と鉛筆だけで、業績をあげることができる、これはすごいことです。
また、この定理を証明する、基本的な考え方は日本人、谷村、志村、両氏が考えた理論が元になっていたというのもすごい。

敗戦後、何も無い日本で、紙と鉛筆があれば、世界をあっと言わせる研究ができる数学と、原子物理の世界で著名な日本人研究者が出たのは、偶然ではないでしょう。なんら一次資源の無い日本がここまでの経済大国になったのは、紙と鉛筆で頑張ったからです。日本人の頑張る能力というのはすごいなあと思う、今日、このごろです。

今の世の中ではコンピュータソフトが似てますよね。たとえパソコンが無くても、紙と鉛筆があれば、画期的なソフトは作れますからね。半導体設計もそうすね。回路設計は頭の中だけでできるので、紙と鉛筆があればOKです。

思い起こせば、大学を出たばかりで、機械の設計を始めたとき、当時は紙に鉛筆で図面を書き、頭の中で考えた機構を紙に表記する。それを試作工場に出すと、なんと、動く機械が出来てくるのを目の当たりにしたとき、あのショックはわすれられません。紙と鉛筆で考えた機械が、一台200万円もする機械が出来てくるんですよ。紙と鉛筆の代金はおそらく2000円以下、それが一台200万円!2000倍の付加価値がついたことになります。機械は何千台も生産しますから、5000台としても、10000000倍の付加価値!これが、日本が経済大国になった理由なのでしょうか。結局、人間の頭脳が付加価値を生む。

しかし、これらの優秀な学者が出たのも実は戦前の教育を受けていたからなのかもしれません。ソフトも、半導体設計もアメリカなどに負けているような気がします。戦後教育ははたして、そのような画期的な発想、業績を残す野心家的教育が出来ていたのかと、少し心配になります。
がんばれ日本の科学者!

2011年1月15日土曜日

労働生産性と日本の企業社会

日本の労働生産性は低いと言われて久しいですが、生産性=効率と考えると大きな間違いと、藻谷さんが言われています。労働生産性は労働者一人が生み出した付加価値ですから、確かに一人の人が効率良く仕事ができるようになれば、生産性は上がるような気がします。

しかし、今の日本で起きていることは、付加価値の絶対額が下がっているということのほうが問題のようです。
例えば、昔は電子レンジは当時の価格でも10万円くらいしました。今では当時の機能なら1万円以下で買えます。全体の付加価値が大きく下がってきているわけです。当時の10万円は今の仮に30万円(給与が3倍になっているとして)とすると、付加価値は1/30に下がっていることになります。このような状態で、生産効率を30倍にしても、やっと当時と同じということになります。製造原価を考えると、効率を40倍くらいにしないと無理ですね。40倍にしようとすると、それにかかわる工場労働者も増えるはずですから、実は一人当たりの生産効率はそんなに上がらないはずです。日本人の効率は上がっているかもしれませんが、海外工場で労力が増えているはずです。

多くの日本企業は少ない人数で生産効率を上げて、良いものを安く作れば儲かると思って、ほとんど宗教のようにこれに注力してきました。例えば三洋電機は一生懸命白モノ家電を作り、売上は膨大な金額となっても、営業利益はほんのチョット。実は赤字という状態を続けていたのだと思います。(三洋電機関係者の方ごめんなさい。ただ、典型的な例だと思うので勘弁してください。)

本当は電子レンジの生産は発売後10年くらいで止めて、別の事業に移らなければならないところを止められなかったのだと思います。たぶん、真相は止める気もなかったのかもしれません。でも、ほとんど全部の日本企業がそうでした。

本来、労働生産性を上げるためには、付加価値を最大限に増やすことが重要で、そこが多くの日本企業では出来ていなかったのではと思います。

シャープのヘルシオとか、高く売れているじゃないかと、お叱りもあるかと思いますが、電子レンジが出たころ、サラリーマンの給与と同じかもっと高い値で売れていました。そう考えると、ヘルシオでもたかだか、給料の1/3くらいでしかないことを考えると、もっと付加価値の高い事業に同じエンジニアの能力を振り分けるべきだったのではと思います。

これが、エンジニアの浪費です。

とは、言っても、付加価値をそれだけとれる事業を見つけるのは大変です。そのための技術開発も膨大な投資がかかるかもしれません。能力の足らないエンジニアは退職してもらわなければならないかもしれません。

アメリカのエンジニアは良く勉強します。私も夜、カリフォルニア大学の技術講座に通っていましたが、たくさんのエンジニアが仕事が終わったあと、勉強していました。日本の場合は、エンジニアは毎日残業でヘトヘトで、勉強する気力も機会もありませんでした。これでは、電子レンジや炊飯器しか作れないエンジニアが増産されてもおかしくありません。これは不幸なことです。
(念のため、ヘルシアを開発したエンジニアはすごいですよ。尊敬します。でも、もっと付加価値の高いフィールドを与えてあげられなかったのでしょうか。。。。経営者の怠慢です。)

現在の日本の技術立国の凋落は企業がエンジニアを再生していなかったことと、その事業分野で付加価値の大幅低下が起こっているにも関わらず、生産効率向上にばかり邁進していた結果だと思います。

付加価値を上げるにはどうするべきか。日本の技術蓄積があればできます。

みんな、元気を出して頑張りましょう。

MPS vs MSP?

事務機業界ではMPS,MPSと騒がれて久しいですが、アメリカではMPSはMSP "Managed Service Provider"が提供するITサービスの一部に含まれると解釈されています。中小企業にも、MSPは有効な手段として考えられていることを考えると、MPSもMSPの一手法として、中小企業に適用できるのかもしれません。