自己紹介、うーん、照れますね。
瀬戸内の海の近くでのーんびり育ったせいもあり、かなり、マイペース人間です。
子供のころ、夏は、水中メガネと足ひれをもって、しょっちゅう海に潜って遊んでいました。おかげで、今も水にぬれることが大好きで、海を見るとすぐ飛び込みたくなります。
大学は何が何でも楽器の音響関係の勉強がしたいと思い音響の研究室のある大学へ。
実は試験を受けに行ったのが、大阪より東に行く初めての経験でした。
学生時代は勉強もせず、グレイハウンドで一人アメリカを放浪したり、個人旅行を許可したばかりの中国に行ったり、クラブでギターばっかりやったり、困った学生でした。でも、ひとつだけ自慢は、中学、高校の時の教科書、NHKのラジオ英会話3年分、すべて暗記していたこと。英会話学校へ行ったこともなかったのですが、英語で不自由したことはほとんどありませんでした。
この勉強法はぜったい、お勧めです。NHKラジオ英会話を1年分暗記するだけで、おそらく旅行は困らない。めちゃくちゃコストパーフォーマンスが良いですよ。
英語は中学校の文法の完全理解と、ラジオ英会話丸暗記で、だれでも、飛躍的に実力アップすると思いますよ。安いですしね。
さて、「ピアノ高音部の不協和音(インハーモニシティー)」の卒業研究を提出し、1年遅れで大学を出て就職。とにかく海外のエンジニアと仕事ができるようになりたい。小さくても必要としてくれる会社に行きたい。と大阪の某社へ。
おりしも、1980年代の高度成長時代、毎日夜11時ごろまで残業につぐ残業。こりゃ、こんなことやってたら、頭がバカになるし、第一、体に悪いと思い。入社5年めで、一年休職して海外に。
海外の大学で聴講生をしながら、将来をいろいろ考えました。
当時の上司も良く許可してくれたものです。
結局、仕事を離れてみると、なんだかんだ、言いながら無からモノを作り出す、エンジニアの仕事が好きだというのがわかりました。さあ、日本に帰ってモノづくりにまい進だ!と、日本に帰ったのもつかの間、1年後には欧州へ行くことに、そのあとは、アメリカのR&Dセンター立上げだ。走り回り、アメリカへ。シリコンバレーでの転職、などなど、やってるうちに、アメリカでポコポコと子供も生まれ、一気に我が家は5人家族の大所帯。
昼間働いて、夜は大学で勉強して。幼稚園や小学校の送り迎えはお父さん。
まあ、今考えると、ばたばたと良くやっていたもんです。その分、家内には大変な苦労をかけてしまいました。
結局日本に帰ったのは40歳、20代で海外に出て、若者だと自分では思っていたのに、すっかりいい年になってしまいました。
「もう、おっさんかあ。」と思いつつ。また、ふつふつと、いろいろやりたいことがでてきてしまい、次の目標は起業だ。そのためにはビジネスを知らなければ、と商学部の大学院へ。
たまたま、かけていた山が当たり、無事、競争率3.3倍を突破して合格。
仕事と勉学、死にそうな思いでレポートや発表をこなしながらなんとか、卒業。
そうこうしているうちに、勤めていた会社が東京の会社と合併。
会社の経営企画部にいたので合併の調整で大変でした。
合併からしばらくたって、かねてからの目標達成のため、独立することを決心しました。
ちょうど早期退職者募集、割増退職金1.5年分が発表され、これは乗るしかないということで、応募。めでたく、円満退社。
そこからが、苦難の始まり。いやー、大変でした。また、家族に迷惑をかけてしまいました。
でも、そんな時、仕事をくれたのが、合併の相手企業出身の同僚たちでした。
この会社は合併して良くなるだろうなあ。と思った瞬間でした。
やはり、自分の使命は「世界の技術を日本へ、日本語技術を海外へ、科学技術の国際間交流を通して、科学技術の発展に寄与する。」これをモットーにとにかくやれるところまでやろうと思っています。
これからは、事業に賛同、協力してもらえる企業、仲間の企業をどれだけ増やせるかだと思っています。世の中、戦争があったり、環境破壊があったり、科学技術の発展が必ずしも世の中に貢献していません。しかし、今ある問題の非常に多くの部分は科学技術で解決できます。
「バカとはさみは使いよう」なのです。
環境技術などこれからどんどん重要になってくるでしょう。うまく技術を使わなければ人類滅亡が早まるし、人類以外の生物も絶滅の危機に瀕すると思います。
これからも科学技術の発展に少しでもお役立ちたいと思っています。