最近、地方の国公立大学の存在意義が問われています。
就職に関して、むしろ東京の有力私大のほうが有利ということで、無理してでも都会の私大に行ったほうが良いということのようです。
昔は例えば早慶など、簡単に入れる学生が地方の国公立大学にもたくさんいました。経済的理由で地元の国立大学に進学する学生がたくさんいました。
私が大学生のころの国立大学授業料はたしか年間147,000円くらいだったと思います。また、家庭の収入が低ければ、比較的簡単に授業料免除になっていたような気がします。育英会の奨学金をもらえば、十分、親のサポートを受けずに大学を卒業できた時代でした。貧乏な家庭でも、自宅からなら、大学に通わせることができました。
今では入学金と授業料を合わせれば、80万円前後になるようです。毎年の授業料も50万円台だったと思います。これでは、ちょっと頑張って、都会の私大に行こうかということになるのかもしれません。
結果として親はかなり無理をすることになります。
経済格差が知識格差にならないように、大学運営は考えられなければならないですし、地方大学でも都会の私大に負けないくらいクオリティーの高い教育をしていくべきだろうし、魅力をあげていかなければならないと思います。学費はやはり親の収入に応じて免除システムを徹底していくべきだろう。子ども手当ばら撒きよりも、優秀だけれど貧乏な学生を伸ばすべきだと思う。
1980年代に海外の公立大学で実際に勉強して、日本の国立大学の教育の質の悪さをあらためて感じましたが、結局あのころの国立大学は安かろう、悪かろうだったのかもしれません。これではいけません。地方の優秀な先生方が頑張れる仕組みを作るべきだろうし、どうやって、世界に通用する社会人を作り出すのか、明確なビジョンが必要です。
日本は人的資源しか無いのだから。
今回の震災地に対しては、経済的理由で高等教育が受けられない優秀な人材をどう、救済するか、真剣に考えなければならないと思います。
子ども手当ばら撒きの愚はやはり、貧乏な家庭も裕福な家庭も、優秀な子どもも、そうでない子供も、一律にばら撒きを行ってしまったことだと思います。
地方でも質の高い教育が受けられる、地域社会に貢献できる人材を輩出する。これに注力するべきだと思います。日本は人材しかないのだから。
2011年4月23日土曜日
徹底的に大学用途に徹したプリントマネジメントソフトを提供しよう。
COSYは小さな会社ですが、徹底的に文教用途に徹したプリントマネジメントソフトを提供していこうと思っています。
論文やレポートの印刷、ネットやデータベースサービスからの資料収集。やはり、紙に印刷された情報が無ければ、効率的な知的活動や知的生産はできません。
大量に印刷することがやむおえない場合もあります。しかしながら、失敗印刷や、クラブ活動のビラとか、本来の学業に関係の無い印刷は制限する必要があります。
大学ではこのような不要な印刷のため、多大なコストを負担しています。
そのため、最近、特に国立大学で、印刷に課金する方向に安易に流れているような気がします。
課金システムを構築するために、大手事務機メーカーに丸投げで、多大な金額をかけて、発注しようとしています。また、丸投げすれば、機器、消耗品に関して割高な費用が設定され、全体として、かなりの経費が消費されることになります。
本当にこれで良いのでしょうか?
本来、このような費用は本当に印刷が必要な研究者や、学生に向けて支払われるべきだと思います。
COSYの提唱するプリントマネジメントシステムは以下のとおりです。
私も海外で複数の大学で勉強させてもらったり、日本でも、大学院ですばらしい勉学環境を提供してもらい、感謝しています。最近の学生を圧迫するような大学法人や事務機業界の動きに憤りを感じております。
日本が知的生産性で海外に負けるのは憂慮すべき事態です。
本来、経済的に困窮している学生でも学べるということのために設立された国立大学が学生に負担を強いるのは本末転倒です。私が大学生のころは、授業料免除+年間500円の寮費+アルバイトで100%自分で大学に通っていた学生がたくさんいました。経済格差が優秀な将来をになう人材の勉学を挫くような結果になってはいけません。私の父などは、原爆の多大な被害を受けた広島大学でバラックに住みアルバイトしながら、必死に勉学を続けたようです。
企業の存続性と社会的な意義はよーく考えてみる必要がありそうです。
論文やレポートの印刷、ネットやデータベースサービスからの資料収集。やはり、紙に印刷された情報が無ければ、効率的な知的活動や知的生産はできません。
大量に印刷することがやむおえない場合もあります。しかしながら、失敗印刷や、クラブ活動のビラとか、本来の学業に関係の無い印刷は制限する必要があります。
大学ではこのような不要な印刷のため、多大なコストを負担しています。
そのため、最近、特に国立大学で、印刷に課金する方向に安易に流れているような気がします。
課金システムを構築するために、大手事務機メーカーに丸投げで、多大な金額をかけて、発注しようとしています。また、丸投げすれば、機器、消耗品に関して割高な費用が設定され、全体として、かなりの経費が消費されることになります。
本当にこれで良いのでしょうか?
本来、このような費用は本当に印刷が必要な研究者や、学生に向けて支払われるべきだと思います。
COSYの提唱するプリントマネジメントシステムは以下のとおりです。
- マルチベンダー対応でどこの機械にも出来る限り対応する。結果として機器購入時に市場で最も適切な価格を提示してきたメーカーの製品を導入することができる。
- 間違い印刷を極力防ぐソリューションを提供していく
- 適切なルールを持って、カラー印刷をしてもらう。
- 年間に支払っている消耗品代金に見合った価格の管理システムを提供する。
- 課金するにしても、例えば上限の500枚を超えた部分に限って課金するなどの対応をとる。
- 大学院生に対しては2000枚まで無料にするなど、柔軟な対応
- あらかじめ決めた印刷ルールに反する印刷を行った場合は警告を表示して、徐々に学生を啓蒙する。(プロッターでWebを印刷など禁止)
- 導入するなら学生の使い勝手を向上させることを念頭に置く。
- 学部単位、研究室単位でも手軽に設置できる簡単さ、低価格を実現する。
私も海外で複数の大学で勉強させてもらったり、日本でも、大学院ですばらしい勉学環境を提供してもらい、感謝しています。最近の学生を圧迫するような大学法人や事務機業界の動きに憤りを感じております。
日本が知的生産性で海外に負けるのは憂慮すべき事態です。
本来、経済的に困窮している学生でも学べるということのために設立された国立大学が学生に負担を強いるのは本末転倒です。私が大学生のころは、授業料免除+年間500円の寮費+アルバイトで100%自分で大学に通っていた学生がたくさんいました。経済格差が優秀な将来をになう人材の勉学を挫くような結果になってはいけません。私の父などは、原爆の多大な被害を受けた広島大学でバラックに住みアルバイトしながら、必死に勉学を続けたようです。
企業の存続性と社会的な意義はよーく考えてみる必要がありそうです。
ラベル:
大学、プリント、印刷、国立大学の意義
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