8月6日は言わずと知れた、広島原爆の日である。
今回、思い出すのは、中学校、高校の被爆経験を持った先生たちである。
もちろん、もう、第一線を退いているだろうし、存命かどうかもわからない。
白血病で亡くなられているかもしれない。
たまにしか、当時の話はしてくれなかったが、生徒にいろいろ体験を教えてくれた。
どの先生だったか忘れたが、先生は、ちょうど小学校へ行く前に家族と朝ごはんを食べていて、俺は、早食いだから助かったと言っていた。
ごちそうさまー、と言って、食卓から立ち上がって、タンスのところまで来たところで、熱線、光線の直撃を受け、後ろを振り向くと、家族が全滅、自分だけ、タンスの陰で、光を浴びず助かったとか
前出の先生は、良く、ピカドン、ピカドンと良く言うけど、わしの家では爆心に近かったので、光線と音が同時だった。とか
高校の校長先生は子供ながら、防火用水の桶の中で火の手を避けていて、近所のおねえさんを助けたとか
先生の知り合いは当時を思い出すのが嫌で、いくら、説得しても、当時の状況を説明するのが嫌で原爆手帳をもらいに行けないという話とか
そういえば、中学校の校長はシベリア抑留されていて、トラクターから、ジャガイモを植えるためにポトン、ポトンと畑に落ちてくるのをこっそりかっぱらって、かじって生き延びたとか、
当時は生の戦争の話を子供たちも聞かされて育ったが、今はもう、そういう機会がどんどん減っている。青桐の下で被爆体験を話していたおばあさんも亡くなられたそうだ。
こういう話は風化させてはいけない。。。。と思う、8月6日でした。
HIROSHIMA Thousand Cranes <- ぜひ、これも見ていただければ。
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